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2010年 10月 11日
ミルク / milk
頭の中は新鮮なミルクで一ぱい

 僕は精神が好きだ。しかしその精神が理論化されると大がいは厭やになる。理論化という行程の間に、多くは社会的現実との調和、事大的妥協があるからだ。まやかしがあるからだ。
 精神そのままの思想は稀れだ。精神そのままの行為はなおさら稀れだ。

 この意味から僕は文壇諸君のぼんやりとした民本主義や人道主義が好きだ。少なくとも可愛い。しかし法律学者や政治学者の民本呼ばわりや人道呼ばわりは大嫌いだ。聞いただけでも虫ずが走る。
 社会主義も大嫌いだ。無政府主義もどうかすると少々厭やになる。
 僕の一番好きなのは人間の盲目的行為だ。精神そのままの爆発だ。

 思想に自由あれ。しかしまた行為にも自由あれ。そしてさらにはまた動機にも自由あれ。

「僕は精神が好きだ」大杉栄


 法律は人を呼んで国民と言う。道徳は人を指して臣下と言う。
 法律は軽罪人を罰するのは、わずかに数ヶ月かあるいは数ヵ年に過ぎない。けれども道徳はその上さらにその人の生涯を呪う。
 法律は着物のことなどにあまり頓着しないが、道徳はどうしてもある一定した着物を着せる。
 法律は何かの規定のある税金の外は認めもせず払わせもしないが、しかし道徳は何でもお構いなしに税を取立てる。
 法律はすいぶん女を侮蔑してもいるが、それでもとにかく子供扱いだけはしてくれる。道徳は女を奴隷扱いにする。
 法律は、少なくとも直接には、女の知識的発達を妨げはしない。ところが道徳は女を無智でいるように、しからざらばそう装うように無理強いする。
 法律は父なし児を認める。道徳は父なし児およびその母を排斥し、罵詈し、讒訴する。
 法律は折々圧制をやる。けれでも道徳はのべつ幕なしだ。

「法律と道徳」大杉栄
共に「大杉栄全集第十四巻」より。

「僕は精神が好きだ」を書いたときの大杉は33歳だった。
いまの日本に、33歳という年齢で、これほど率直な文章を書く人はめずらしい。33歳なら、もうすこし手のこんだ文章を書くべきだというのが現代の常識というものだろう。
 さて、「無政府主義者もどうかすると少々厭やになる」という部分に注目してほしい。
 無政府主義とは何かーそれを理解してもらうのもこの本の狙いのひとつだが、それは後回しにして、大杉は日本の無政府主義思想家のうちで、もっとも高いレベルに達した人である。大杉を言わずに日本の無政府主義の歴史を語ることはできないのである。
 そういう大杉が「無政府主義も厭やになる」という。
 矛盾という言葉を絵にかいたようだ。
 つまり大杉は、精神の発露としての無政府主義が好きなのであって、理論化された無政府主義は嫌いだといっている。
 無政府主義は理論化されたらダメになってしまう、ということでもある。  
 「思想に自由あれ、行為にも自由あれ」−これくらいまでなら、言ったり書いたりする人はいるだろう。
 しかしそのつぎの「動機にも自由あれ」となると、どうか?
 人間が何かやって失敗すると、「動機は純粋だったのだから・・・」という弁護の言葉がいわれる。
 美しい言葉のようだが、これを裏がえすと、純粋でない動機によって失敗したら誰も弁護しないということだ。「良い動機」と「良くない動機」との差別がある。
 それでは人間の自由はない、と大杉は叫ぶのである。
 大杉は何よりも自由を大事にした。
 「自由」という言葉に、全身が焦げるようなあこがれをもっていた。
 自分が自由になるためには、社会全体が自由にならなければならない。
 そうなるための手段としては無政府主義がもっとも適当だ、と大杉は判断した。無政府主義は手段であって目的ではない。
 ここで簡単に、無政府主義とはなにか、について書いておこう。
 無政府主義とは何かー読者にもだいたいの見当はついてきたはずだ。
 人間は法律や秩序といったものがなくてもやっていけるはずだ。いや、そういうものは人間が自由な社会をつくるのを妨害するだけだから、破壊してしまおうーそのように考え、そのように行動する、それが無政府主義だ。 
 二十世紀にでてきた新しい思想ではない。
 無政府主義を「アナキズム」ということがある。語源は、無秩序とか無統制の状態をしめす「アナルシイ」というラテン語らしい。初期のキリスト教のなかにもアナキズムの精神があったとか、中国の老子の思想にもアナキズムの傾向が濃厚だといわれることもあり、人間にとって懐かしく、貴重なもののひとつだ。
 アナキズムの反対の思想を一括して権力思想とよんでおこう。
 人間は仕方のない動物である、放置しておくとろくな事をやらないー戦争・反乱・野蛮の横行。
 だから権力をつくり、国々の国土と法律を定め、親は子供を育て、教育し、違反者のための牢獄を準備し、違反しない者と隔離するーこれが権力の思想だ。
 そんなことは必要ない。人間が本当に人間であれば、盗みも放火も詐欺もなくなるーそう叫ぶのがアナキズムだ。
 人はなぜ労働するのか?
 権力の思想は、こう答えるだろうー国家や社会の一員としての義務である。
 アナキズムの立場からは、こう答えるー他人や自分のために物をつくるのは楽しいからであり、その能力をもっているからだ。
 国家は、なぜ軍隊をもつのか?
 権力の思想は、こう答えるー他国勢力の侵略から国民を守るためだ。
 アナキズムは、こう答えるー軍隊が自国の国民を最後までまもりぬいた例はない。自国の国民に銃をむけるとき、軍隊はもっとも得意な表情をみせるものだ。
 労働者が主人公であるはずの社会主義の国なのに、なぜ労働者は自由を制限されるのか?
 権力の思想は、こう答えるーそれこそ、どんな国家でも権力を必要とする証拠だ。
 アナキズムは、こう答えるー労働者の革命を途中で殺した連中が権力をにぎったからだ。
 たいていの人が、「自由は大事である、自由はいいことだ」という。そのとおりだ。
 だが、「お前さんはいま自由であるか?」と問われると、とっさに返答できる人は少ないだろう。
 大杉栄は、自分が自由でないことを痛感していた。
 だから彼は、もっと自由になろうと奮闘した。そうして、友人はもちろん、見もしらぬ人にも、演説や文章をつうじて「もっと自由になりたい、諸君はどうか?」とよびかけた。
 言葉や文章で大杉を知ることは、「諸君はいま自由であるか、自由になりたくないのか?」という質問に答えることである。いますぐに答えなくてもいいが、答える姿勢のようなものが、いつの間にかできてくるはずだ。」
「人と思想91 大杉栄」高野澄著より抜粋。



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by midoriartcenter | 2010-10-11 23:33 | Tomomitsu TADA


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