2011年 12月 28日
少しくらい立ち止まってのんびりしてもいいと思う / We should stop and take a long rest...
あと4日で今年もおわりなんですね。ちょっと数ヶ月前のことを書いてみます。
Sorry, this time I only write in Japanese.
The text is about an artist, WATANABE Go. And I just hope the world flows slower and slower...


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今年の3月に渡辺郷くんという現在は東京在住で、もともとは福岡や北九州をベースに活動していたアーティストの個展をMACでやりました。彼はCCA北九州のわりと初期のスタジオメンバーで、若い時期から色んなところで活躍してた人でした。ほんとに日々の生活と作品の境界が曖昧な人で、でもどこかに笑いがあっていい作品をつくっています。
あまり細かいことはプライベートなことなので書きませんが、あるきっかけでサラリーマンをするようになってしばらくそちらに集中してたら、いつの間にやら展覧会とかプロジェクトの誘いが減っていっちゃったみたいです。自発的にガツガツやるタイプではなく、どこかに呼ばれたらそれに応じて日々の生活とリンクさせるかたちで作品を制作するので、そういう誘いがなくなると作品発表する機会がなくなってしまい、あっという間に4〜5年が過ぎてしまいました。それで昨年あたりから色々考えたようで、また作品つくって発表しようかなって思ったそうです。そんなわけで、とりあえず久々のリハビリを兼ねて青森でちょっと作品つくって発表してみようと、MACでの個展となったわけです。

結果全く作品の感じは鈍ってなくて、ほとんど即興ライブのような幻に近い儚いよい展覧会となりました。ぜひ郷くんには制作を続けてもらいたいです。どなたか展覧会に呼びませんか、彼を。絶対今の世の中でなにかするべき人だと思います。

それからもうひとつ言いたかったのは、近頃は変化のスピードがやたらとはやくなっている気がするということです。ちょっと動きを止めたり沈黙すると、すぐに忘れられてしまうような感じはなんだか恐ろしいなと思います。もう少しみんなゆっくりしてもいいんじゃないかな。甘いでしょうか。
たった10秒くらいで理解できた気分になるものや、多くの人が簡単に賛同してしまうようなものばかりがもてはやされている気がしてならないんだよね。関係ないかもしれないけれど、大阪市長に橋本さんが当選したのは、こういう流れを象徴しているんじゃないかなと思ったりします。とにかく異常なスピードでまくしたてて、早急な判断と変化を迫る。言動が極端だし、常に明解だからある種の爽快感はあるんだけど、ほんとにそんなに単純な感じでいいのだろうか。なんて思うのはマイノリティなのかな。

ということで、来年はじっくりゆっくり止まってみたいと思います。「分かりやすさ」と「善良さ」という鉄仮面と如何に向かいあうかです。

最後に郷くんの展示についてのハンドアウトより抜粋。

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ユーモアとアイロニーと笑い、その先にあるのは遠回りの世界

渡辺郷は作品のための作品、あるいはアートのための作品は決してつくらない。その作品は常にユーモアとアイロニーに溢れ、今現在彼の目の前にある状況を表象する行為である。ときには馬鹿らしいと思われることに真剣に取り組むその姿には、自嘲の想いと、世の中に対する静かではあるが的確な批判が透けて見えてきたりする。また、彼の作品の背景にはつねに「笑い」の要素がある。例えば今回青森に一週間滞在して制作した作品に《Flying pan》というビデオ作品がある。これはフライパンが宙を飛んでいる映像を繰り返し撮影し、ループにしただけのものだ。フライパンの英語標記が"frying pan"となることを知らずに、"flying pan"だと思い込んでいた経験をもとに、半分だじゃれのような感覚でつくった作品だ。また、《Drill Man》という作品は、ある壁面のコンセントから電源をとった電動ドリルで対面する壁に穴を穿とうとするのだが、ちょっとだけコードの長さが足らず、壁にむかうとドリルのコンセントが抜けてしまう。そこでプラグを付け足してもう一度挑戦するのだが、まだ届かずまた抜けてしまい、そこでまたプラグの先にプラグを付け足してはドリルを向けるという動作を繰り返している様子を記録した映像だ。当然延長コードを接続すれば、そこで目的は達成されるわけだが、敢えてプラグを増やして壁に近づくという滑稽な遠回りをして笑いを誘うのが渡辺なのだ。このちょっとした発想の転換ともうひとつ選択肢を発見する能力は、常に最短経路をたどる資本主義経済に支配された現在の世の中にこそ非常に重要なのではと思えてならない。
また、今回最大のインスタレーションとなる《After me the deluge》は、展覧会オープン前夜にMAC前の雪をかき集めて180㎝程の五角柱をつくり、そこにタイトルと同じメッセージを掘るのみの雪の彫刻である。この言葉を訳すと「あとは野となれ山となれ」または「私が去ったあとには洪水があるのみ」となる。これもまた「どうなろうが知ったことか」という強烈な自嘲とアートや社会に対するある種の諦観と希望が交錯するような複雑な状況をいい得ているともいえる。
これらの作品に対峙するあなたは理解不能と感じるのか、それとも笑いを誘われるのか、あるいは困惑するのだろうか。僕は今の世界にこそ、このような一見まったく不明瞭で判断しづらいものが本当に必要なのだと思う。世界はもっと曖昧でゆっくりまわってもよいのではと、渡辺の作品を見て再認したのだった。
服部浩之(MAC住人)

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by midoriartcenter | 2011-12-28 03:50 | Go WATANABE


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